■名前 奥村 政佳
おくむら まさよし
■生年月日 1978.3.30
■血液型 AB型
■出身地 大阪府
■パート ボーカルパーカッション




2012年05月21日
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  金環日「食」



食卓で再現してみました。
 
その他、金環日食ロコモコ、金環日食ナシゴレン、金環日食クロックムッシュなど。
 
次のチャンスは2030年の北海道ですかな。

2012年05月13日
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  札幌はまだ寒いです。




北海道大学高等教育推進機構 高等教育研究部 科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)で一年間学ぶことになりました。
 
研究者と市民との「仲立ち」をする科学技術コミュニケーターのスキルを学びます。
 
 
 
北大は構内のいたるところで「ジンパ」(ジンギスカンバーベキューパーティー)が開かれていたりして、なんかすごくのんびり素敵なところです。
 
一緒に学ぶ生徒さんも色々な人が居て、一年間がすごく楽しみ!
 
もっと上手に人にモノを伝えられるようになりたい。
 

2012年05月10日
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  故郷つくばを救え。



石巻でも、那智勝浦でも会ったメンバーがほとんど。
 
嬉しい気持ちと複雑な気持ちが交差。
 
初動で動ける人がもっと日本に増えてもいいなと思います。
 
 

2012年05月05日
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  折浜団地


宮城県石巻市仮設折浜団地にて。今日はここに泊まります!

2012年05月05日
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  はまぐりはま


牡鹿はまぐりはまプロジェクトも始動(^o^)
 

2012年04月23日
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  がんばってっちゃ牡鹿!


先週木曜日から今月二回目の牡鹿半島。
 
受け入れチームと色々手違いもあったりで、初めて、泥だしや瓦礫掃除ではない時間を被災地で過ごすことになった週末。
 
 
いつもの銭湯に行って番頭のお母さんと話したり、商店のおばちゃんとコーヒー飲んだり、その流れで地元の方々主催でゴールデンウィークに行なわれる、復興花火大会の準備をお手伝いしたり。
 
さらにその流れで、晩御飯およばれして、旦那さんの晩酌の相手も買って出て(笑)、鯨を肴にのんで、しゃべって、そのままお布団ひいてもらって泊まったり。
 
 
いつもだと朝7時半から夕方まで活動して、ご飯かきこんでボランティアセンターで雑魚寝、みたいな感じなので、予定が無くなったことで得られた貴重な機会。
 
地元出身で頑張ってる数少ない若者の戦力、魚屋さんのけい君が同級生だったりで、意気投合。これからも牡鹿を応援して行きたいと思います。
 
 
その他今回は顔面麻痺からの初めてのボイパ事件やお好み焼きサイン事件など、いろんなハピラキが起きましたが、それはまた次回に(^^)。
 
 
 
 

2012年04月13日
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  初の金華山。

継続的に行っている牡鹿半島、先週末は初めて船で島にわたってきました。

行き先は、金華山。

山が一つ丸々神社です。

桟橋が地震で沈下、さらに参道は台風で大きな被害を受けていました。

ボランティアも入って作業をしているのですが、なにしろ重機がないので人海戦術。

でも、船でわたらなければいけないので、ボランティアが入ったのが8月からだったそう。

まだもう少し、かかりそうです。


来年は大きなお祭りがあるそうで、石巻・牡鹿にまた人がたくさん来るきっかけになるかもしれない。

それに向けてのお手伝いができればと思って、仲間と一緒に東京から向かいました。

そういや、金華山は3年連続でお参りすると、一生お金に困らないそうですよ!^^/


名前どおり牡鹿半島には鹿がたくさん。

昼休み中に、鹿せんべいをやったら、お腹が空いていたのかすごい形相?でした。

体調は、あと少し、かなぁ。暖かくなって、だいぶいい感じ。

今日は暖かすぎて、海を散歩したら汗ばむくらいでしたね。


東北もそろそろ桜のほころび始める時期かな。

希望の花も咲きますように。

2012年03月30日
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  34歳を迎えて。

たくさんのお誕生日メッセージやお手紙、プレゼント、ありがとうございます。
また、改めてたくさんのお見舞いも、ありがとうございます。

おかげさまで、34歳になりました。

33歳は、なかなか激しい一年でございました。
そして振り返ると、たくさんのいい試練、そして経験があった一年であった気もします。

東北・和歌山でのたくさんの経験、ボランティアを通じての出会い、人生において貴重な経験の数々、
防災士取得をはじめとした、今までやりたかった色々な勉強、初めての入院と、それはそれは濃い、充実した1年でした。


でも正直、一番の山場は、保育士試験での実技、ピアノ弾き語り!

あんな緊張は、すいません、武道館以上です。手も声も震えたもんね、そりゃそうだよ、人前で弾いたことなんて無いもんね。

7年かかってあのハードルを越えられた事は、ひとつの自信にもなりました。

そしてさらに、33歳の最後に病気にかかった事は、とても大きな出来事でした。

手足が折れても、内臓の病気になってもできると思っていたボーカルパーカッションの演奏が、

顔面麻痺だけはどうしようもなく。

病状によって引退も考えましたが、お医者様のお陰もあって、なんとか回復の方向に向かいつつあります。

なので、またステージに立てる日が来るかと思います。

34歳の目標とする一文字は「強」。

更なる勉強の「強」でもあり、今の身体状況を乗り越える「強さ」でもあり、粘り強い「強か」(大辞泉より)を身に着けることでもあり。

病気になった時に、お守りにした言葉があります。

「人間の禍福は、あざなえる縄の如し」

これは、高校のときに文集に書いた言葉です。

「人間の禍福はあざなえる縄の如し…か。」
                             奥村政佳


 明智光秀は落城の悲運を、逆に、大きな飛躍をする跳ね板に転じようとした。
  
  ――人間の禍福はあざなえる縄の如しだ。人間には幸運ばかりも無いが、悲運ばかりもない。
     転落したとき、ゆっくりと谷底で一服することだ。焦慮は消耗と失望しかもたらさない――

 彼はじっくりと機運の盛り上がりを待つことにした。

 それには学問の殿堂であり俗界と離れた比叡山は最適だった。

   ――天の時と、地の利と、人の和と…

 その三者が一体となって、十兵衛光秀を揺り起こすまで、待とう。
 
 昼寝して待っていても
 その時は来はしない。
 
 ひたすらに学び、
 おのれを磨いていてこそ、
 その時はいつか来るのだ。

 早乙女貢 著 「明智光秀」より (文春文庫刊)


たまたま読んだ小説の一説です。
人生、楽あれば苦あり、といいますが、
「苦」の時にこのように思うことができれば、
これだけ泰然自若としていられれば、
何があっても大丈夫でしょう。

(以下省略)

昔の自分が書いた文集の言葉は、16年のときを経て、タイムカプセルのように。

今年は「強」、この一年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

奥村 政佳

2012年03月26日
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  途中経過

今日病院いってきました!
 
入院当初の筋電図の検査の結果、治るのに半年くらいと言われたよりも早いペースで回復してます。
 
なんか事務所に鶴とか届いていて嬉しかったです。みなさんありがとう。
 
だいぶん日常生活も普通になってきて、短時間なら人前にでても大丈夫な感じです。
 
ありがたいことにいろいろお誘いうけるので、リハビリがてらちょこちょこ外に出るようにします。やっぱりその方が性にはあってるみたい(^^;)
 
病状も良くなってきたこともあって、その方が気分も上がるしね。
 
まぁ家にじっとしているのも貴重な経験でしたが(笑)
 
 
 
とりあえずデジモノの新しい刺激を!と、とりあえず今日は電気屋であたらしいiPadの在庫を聞いたら、今やっぱり人気なんですねぇ。64GBは無いって(TT)ますます欲しくなりました。
 
こないだ復興の件もあって、ちらっと六本木アートナイトいったのですが、草間彌生マフラーも結局ゲットしちゃったもんなぁ。
 
 
 
とまぁ取り急ぎみなさまに今日の病院のご報告でした。
 
元気にやってます。
(^-^)

2012年03月12日
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  for 3.12


震災から1年と1日。

あっという間だった、というのが正直な気持ちです。

あれだけ大きな被害を受けたのだから、すぐに復旧、復興と行かないのは

理屈ではわかっているのだけれど、やはり未だに見る被災地は、まだまだなこともたくさん、です。

体調を崩していなければ、向こうでお手伝いもできたのだけれど、こういう状態なので、

逆に誰かに気を使わせても申し訳なく、黙祷と、夜は海の仲間で逗子海岸でのセレモニーに

少し参加させていただきました。

4月陸前高田、釜石、宮古、大船渡、石巻、5月石巻、気仙沼大島、

6、7、8月石巻、牡鹿半島。9月は水害の和歌山、

10月岩手・山田、今年に入って1月、石巻、牡鹿半島。

体調を崩さなければ今月の頭も行く予定だったのだけれど、行けず。

もう少し体が良くなって、暖かくなったら、また行くつもりです。

現地で復旧、復興のお手伝いをしながら、考える事はたくさんありました。

そして、それは日を経るごと、回数を経るごとに、増えてゆきました。

最初は無我夢中で、「生きる」という事を、どうお手伝いしてゆくか。

それが徐々に、色々な事を見てゆくうちに、複雑で高次の悩みに、葛藤になってゆく。

色々な歯車がきちんとかみ合い、回っているのだろうか?

被災地は?ボランティアは?自分自身は?

不思議な事に、昨日311の映像をあれだけTVの画面でみると、被災地を何回も見た自分でさえも、

あの日の出来事が夢なのか、物語なのかと錯覚しそうになります。少し怖いことに。

現地に足を運び続ける事、これがやはり大事なことだと思いつつ、次にできることは

"for 3.11" の気持ちを胸に、"for 3.12"を考え、行動してゆくこと。

これが、今の自分に歌える「鎮魂歌」なのかもしれません。